一貫性

ちょっと長いけど全文引用。


毎日新聞 2012年7月23日

「いくら電力を使いまくっても、脱原発は主張できる。矛盾してていい」あまりに暑いので台所のクーラーをつけたところ、21歳の長男が汗だくで帰ってきた。「わあ、やっぱり涼しいね」と感動しながらも、こんなことを言う。
「お父さん、脱原発なのに、こういうの使って、矛盾してない?」

それを「矛盾」ととるなら、矛盾でいい。いくら電力を使いまくっても、脱原発は主張できる。原発関係の企業や省庁に勤めていても同じだ。
問われているのは、福島のような放射線汚染は未来永劫(えいごう)二度と起きないと言えるのか、ということだからだ。
あるいは、最終処分場も決めず、見知らぬ未来の人々に核廃棄物を託してもいいのか、ということだ。エネルギー論というより個人の倫理が問われている。

意見とは本来そうだし、特に倫理について語る場合、地位や経歴、立場、ふるまい、過去との一貫性にとらわれず、どこまでも自由であっていい。
だから「電気自動車のCMに出ている坂本龍一脱原発を語れるのか」「テクノポップで電気を使ってきた」という非難は、問われている問題の本質をぼやかすだけだ。【藤原章生

なんと言いますか、まったくもって凄い主張です・・・。



確かに主張するのは自由なわけですが、言動が一致しないと、
信頼性は著しく低下してしまう、というのが真理なわけでして。



そもそもヒトは、何かにつけて一貫性を求めたがります。
何故かと言うと、あまりにも一貫性がない場合、
その人、もしくはその対象は、理解不能な得体の知れない存在になってしまいます。
そして関わりを持つ場合は、常に予測不能な事態に追いやられ、
不安が付きまとうことになり、心理的な負担が増していきます。



故にヒトは不確かなもの、あるいは未知のものに遭遇すると、
そこからなんらかの法則性を見出そうとします。
その積み重ねによって、文明や科学、学問が発達してきたわけです。



捕鯨に反対している人たちが、実生活で普通に鯨を食していたら、
驚愕の事実以外のなにものでもなく、目も当てられません・・・。




西宮 ながた整体院